親戚からの相談で生まれた人生のマネジメントイメージ

新日本保険新聞生保版連載記事(2025年8月)

さて、前回とりあげた保険営業者のAさんの親戚で、妻に先立たれたGさんの事例を、様々な“話のタネや核”を整理しながら、第三者話法で組み立てて行く“過程”を観察してみよう。まずはGさんの事例の復習から始める。

(執筆:森 克宣 株式会社エフ・ビー・サイブ研究所)

今回は、記事の内容を《生成AI:GoogleNotebookLM》で音声解説にしたファイルも添付しています。
今回の記事は、保険営業者のAさんが高齢に達したGさんの体験談から、生命保険が果たす役割を《人生マネジメント》として捉え直す話です。
なお、AIの音声は再現できないため、編集には限界があり、以下の点は《AIの主張》を尊重せざるを得ませんでした。
・全体的な話が、顧客向けのニュアンスになっている。
・死亡保険金の受取人を《じゅとりにん》と読んでいる。(1分58秒頃)
・補えるを《ほたえる》と読んでいる。(5分20秒頃)
・最期(さいご)を《さいき》と読んでいる(11分23秒頃)

Gさんの事例の概要を復習しよう

 GさんはAさんの高齢の親戚だが、妻は既に他界している。主な財産は、まだ売却可能なマイホームと、自分を被保険者とした終身保険と貯蓄になる。仕事は週3回のスーパーの“万引き防止ガードマン”で、公的年金もあって生活には困っていない。
 しかし自分の他界後が気になり始め、2人の娘に『家と遺品を処分してくれるなら、どちらかを死亡保険金の受取人にする』と告げた。娘は2人とも乗って来なかった。

他界後のことは取り返しが不可能

 Gさんの話で、Aさんが真っ先に感じ取ったのは、Gさんは単に“終活”を進めたいだけではなく、自分の人生の“けじめ”を付けたがっているということだ。本当にそうかどうかは不明だが、それを“核”として、話を組み立てることにした。
 それは、『生きている限り私たちは活動ができる。失敗してもやり直せるし、今日の不足も明日補い得る。しかし他界後のことは、生きているうちに“段取り”を付けておかないと、どうにもならない』という話の切り出しから始まる。

死後は本当にどうでも良いものか

 『死後のことはどうでも良い』と言う顧客には別のアプローチを考えるとしても、まずは共感者を探すべきだろう。その際には『妻の遺品を整理していたら、何だか妻の“人となり”を改めて実感させられたことが多くて、今更ながら“良い妻”だったなあという思いが込み上げて来た』というGさんの言葉を引用する。
 近しい人が自分のことを“どう”心に刻むかは、どうでも良いことではないはずだ。

終活は最後の人生マネジメント?

 人生の“最期”に、“立つ鳥跡を濁さず”に逝けるだけでも、自分の死後の印象は大きく変わるだろう。そう捉えるなら『老後は“いくら”の資金があれば安心できる』という言い方が、Aさんには“やや薄っぺらく”感じられ始めた。
 老後は、自分の“死”と向き合わなければならない。資金準備は必要だが、大事なのは“その準備が死に向き合うための助けになるかどうか”という、まさに“人生最後のマネジメント”テーマなのだ。

それをマネジメントと呼ぶのは…

 マネジメントとは“ヒト、モノ、カネ”の活用法だと言われる。それなら、老後設計はまさに、納得できる最期を迎えるために、“近しい人達”、“マイホーム等のモノ財産”、“金融資産”をどう活用するかという点で、マネジメントそのものだと言えるだろう。
 そして更に大事なのは、人生の終盤を迎えてから急いで考え始めても遅いという点も、マネジメント”感覚に類似するように思われる。準備こそ大事なのだ。

Gさん以外の人の感じ方も加える

 ただAさんの知人の経営者は、『先読みは天気予報と同様に不可能だ。雨に備えて傘を持つように、可能な限り“資金や時間の余裕”の確保に努め得るだけだろう』と言っていた。そして、まさにGさんにとっての終身保険が、その“資金や時間の余裕源”になっているとも言えるのだ。
 そのためGさんが『終身保険を契約しておいて良かった。その分、今後どうするかの選択肢が広がった』と言っても不思議はない。

保険契約がマネジメントの始まり

 Gさんがそう言ったら、私は『Gさんの人生マネジメントは、Gさんが自分を被保険者とした終身保険を契約した時に、既に始まっていたのですね』と言えるだろう。
 だんだん第三者話法の組み立てが明瞭になって来た。人生をマネージしようと試みるなら、早い段階から“広い選択肢につなげられる資金源”を準備することが重要なのだ。その際、マイホーム等のモノ財産を換金したり、金融投資や貯蓄活用を考えたりすることもできるが、相続上の制限を超えられるのは生命保険だけだとも言える。

死亡保険金受取人指定が持つ強み

 相続税負担の問題は残っても、死亡保険金の受取人を定めておけば、遺産分割の対象の外に、死亡保険金を出せる。死亡保険金は、自分自身の準備資金にならない時でも、生前であれ死後であれ、“自分のために働いてくれる人”の将来資金になる。
 まさに“生命保険”が、リスクマネジメントの核になるのは、そうした“特殊性”があるからなのだろう。

“あらすじ”をまとめてみると…

 Gさんは、高齢に達して『これからどう生きるか、そしてどう終焉を迎えるか』について、壮年期に契約した終身保険が“選択肢”の幅を広げてくれているのに、改めて驚いた。単に、自分の早世時の妻の生活保障にするとか、解約して老後の準備資金にする等と“抽象的”に考えていた時には、投資や貯蓄と“生命保険がどう違う”のかがイメージしにくかったが、いざ“その時”を迎えて、自分の最期を考え始めると、生命保険の“選択肢拡大機能”が実感できた。

体験しなければ分からないこと?

 Gさんが実感した選択肢は、死亡保険金受取人指定による“終活協力者の募集?”であり、自分自身で解約返戻金を受け取って、それと自宅売却金を原資に有料老人ホームに入るという展開方法であり、現状を継続して、死亡保険金等で“マイホームを含む財産の処分”を、子供が大きな負担なく進められる道であった。
 しかし、更に大きかったのは、選択肢を持てているという“心の余裕”なのだ。これは、実際に“老後”を迎えなければ分からないことだった。そして今は、その余裕こそが何ものにも変えがたいもののようにさえ思えて来る。

事例源はまだまだ多様にあり得る

 Gさんのケースを、そんな風に捉えると、Aさんには“まだまだ事例の素”がありそうに思えて来る。そこで、もっと多くの例を集めたくなった。もちろん生命保険は万能でも唯一の方策でもないが、もっともっと“違う側面”が見えて来るはずだ。

Information

実際に“体験”した人の話を聞くと、理屈だけで考えていた時とは別様の生命保険の存在感が見えて来る。それが話の組み立て意欲を刺激する。

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