(執筆:森 克宣 株式会社エフ・ビー・サイブ研究所)
《人生100年時代》という感覚が世の中に定着し始めるとともに、《健康寿命》は男性で73歳、女性で75歳と言われることがあります。その両者の差、つまり男性で27年、女性で25年の間、私たちの《人生》は、いったい《どう》なのでしょうか。
1.絶対に皆100歳まで生きるとしても…
人生が100年あるかどうかは、いったん保留し、統計には反しますが、男性も女性も、平均して75歳で《健康》を害して、何らかの形で日常生活に支障を来すとしてみましょう。
健康寿命の75歳は、あくまで平均ですから、日常生活に問題が発生する年齢は、たとえば50歳代のこともあり、逆に100歳まで自力で生活できる人もいるかも知れません。
2.場合分けをしてみると考え始められる
さて、かなり乱暴に捉えても、統計数値に従うなら、①75歳より前に健康を害して生活の補助者が必要になる人、②75歳で同様の状況に陥る人、③75歳をかなり過ぎるまで元気な人、④100歳前後の余命をそれなりの健康状態で過ごせる人の4パターンがあると思えて来ます。
つまり《①平均以下》《②平均》《③平均以上》《④問題無縁》の、少なくとも4パターンがあるということです。さて、《私》はどのパターンに属するのでしょうか。
3.真っ先の反応は《分からない》が最多
そんな問いに関しては、『どのパターンに属するか、なんて分かるわけがないだろう』と言うのが、最も多い反応ではないでしょうか。逆に『ああ、私は78歳頃に介護が必要になると思いますよ』等という回答が出ると、『なんて適当な答だろう』と、私たちは感じるはずです。
つまり、人生100年とか、健康寿命75歳とか、そんな《抽象的な数値》で語る時には、私たちは『ああ、そんな時代なのだなあ』を分かった気分になり得るのに、《具体的つまり自分事》として捉え直すと、何も確実なことが分からない状態に陥るわけです。
4.抽象的には理解できても具体論では…
その結果、統計という抽象的数値には『ああ、なる程』と感心したり、『備えなきゃあね』等と言ってみたりはできても、『さあ、あなたの保険を考えましょう』という《具体的な検討》の段になると、一気に『そんなこと、分かんないよ』と、多くの人が言う、あるいは思うのかも知れません。
顧客が『分かんない』のは、保険の内容ではなくて《自分の先行き》なのです。いつ死ぬか、いつ病気になるかは、誰にも予測できません。
5.保険発想は抽象的あるいは平均的だが
しかし、生命保険や医療保険は《統計》をベースに組み立てられます。つまり《抽象論》あるいは《平均論や確率論》をベースに組み立てられるものです。そして、保険の構造に慣れ親しむと、平均論や確率論でモデルケースを想定してしまうことが多くなるかも知れません。
私たちはどうしても『50歳過ぎたら、がんに備えましょう』という言い方をしてしまうということです。しかし、顧客層はやはり『備えに意味があるかどうか分かんないよ』と言い続けるでしょう。平行線です。
6.統計的な抽象論から自分事の具体論へ
そこで、統計的な抽象論を個人的な具体論に変えられないまでも、保険ユーザー個々人に《自分事》に取り組ませる《営業の立ち位置》が必要になって来ます。
たとえば『健康寿命が75歳で、その後も20年程度は生きる』という言い方ではなく、《普通の暮らし》と《死》の間には、もしかしたら《日常生活に支障を来す期間がある》というスタンスをとるわけです。
それが《いつ》からか、《いつまでか》あるいは《どのようなものか》は『分かんない』でしょうが、その危険性があるという感覚は、非常に現実的でしょう。
7.日常生活に支障を来した時の対策例は
そして、《日常生活に支障を来す》ということは、いったいどういうことなのかを《具体的な事例》で考えてみます。Aさんは75歳の時に視力に問題が生じて、運転免許証を返納さぜるを得ませんでした。そして、その後は日用品の《買い物》にも支障が出たのです。
目に問題があるため、スマホで通販に頼ることにも限界が見えて来ました。そこで、自宅と保有株式を売却し、それを原資に《有料老人ホーム》に転居することを決めました、というような事例です。そこでは、毎月数十万円の費用が発生しますが、居住空間はもちろん、食事や医療からレジャーまで用意されています。
8.ある日突然失ってしまうものの大きさ
もし75歳を迎えたAさんに、資金の余裕がなかったら《どう》だったでしょうか。もしAさんがタクシードライバーで、75歳以降収入が途絶えたとしたら《どう》だったでしょう。
そんな風に《事例の登場人物》を多様化して捉えるなら、『分かんない』で済ませる範囲は段々狭くなります。少なくとも『分かんない、なんて言っている場合ではない』と、心の中では痛感できるでしょう。
その後『どうしようもない』と諦めてしまう人は仕方がないとしても、『何とかしたい』『なんとかすべきだ』と感じ得る人になら、先行き準備の1つの選択肢として保険を紹介する機会が生まれるはずなのです。
9.いったい何歳まで生きられるのだろう
それで《何歳まで生きられる》のでしょうか。はたして100歳まで生きられるのでしょうか。それは、本当に《分かんない》ことです。しかし私たちの現実として、医療資金を失い、生活資金を失い、収入の道も閉ざされたら、その時は現実として《死》を覚悟せざるを得ないでしょう。
つまり、いつ死ぬかは分からなくても、現状の延長線上で《いつまで生活できるか》なら、ある程度想定がつくということです。現実を直視すると、私たちは《覚悟》を持って生きられるようになります。死の覚悟を持てないなら、準備資金を増やして行かなければなりません。
10.今の生き方が《余命》の期間を決める
良くも悪くも、《金の切れ目が生命の切れ目》だと悟るなら、近しい人との関係を疎かにしなくなるでしょうし、目先のことしか考えない姿勢に対して疑問を持てるでしょう。そして単なる準備発想だけではなく、健康であれ不健康であれ、それなりに《収入源》を獲得するための心構えの重要性を感じ得るでしょう。
分かっても分からなくても、今の生き方そのものが《老後》ばかりではなく《自分の余命》を決めるのです。保険営業には、そんな《覚悟を迫る》気迫が、今や非常に重要になって来ていると思います。
そこまでの強烈な活動を望まないなら、《がん予防》の話あたりから入るのが妥当かも知れません。その話の先には、上記9までで申し上げたような《道筋》が、多様に見えて来るからです。