ある保険営業者の事例 第三者話法は着眼点をも変える

新日本保険新聞生保版連載記事(2025年6月)

(執筆:森 克宣 株式会社エフ・ビー・サイブ研究所)

さて、第三者話法では《一つの着眼点》が重要になる。その着眼点の“発端”のようなものを捉えておこう。題材は、夫を早くに亡くした女性が、知り合いの経営者と《企業保険》の話をした時に生まれた《強い反省と新たな発見》だ。

企業保険の提案に興味を抱いたAさん

 その女性、つまり保険営業者のAさんは、企業保険の提案に興味を抱いていた。しかし『経営者と話をするのは、自分にはとても無理だ』とも感じていた。そこで、若い頃からの知人(Bさん)に、経営者の価値観のようなものを聞いてみようと考えた。
 Bさんは、従業員数が10人余りの会社を経営している。主に住宅の外壁工事を請け負う会社だ。

知人に率直なインタビューを試みた!

 率直な性格のAさんは、社長とカフェで待ち合わせ、『会社が従業員のために生命保険を契約するって“あり”ですか』と尋ねてみた。社長は営業を警戒してか、即座に『うちの会社は“ない”』と答える。Aさんは慌てて『一般論です』と付け加えた。
 すると社長は『建前では色々と言う人もいるだろうが、本音では経営者も従業員も“そんなのいらない”と思っているのではないか』と答える。そして『節税の役に立つから企業保険を契約したという話を“聞いたことがある”』とも言う。

噛み合わなかった知人経営者との対話

 Aさんは、その時“本音”という言葉の響きに妙なものを感じた。そして『本音ってどんなものですか』と再び聞いてみた。社長は『う~ん』とうなりながら、『本音じゃ誰でも自分が死ぬとは思っていないし、残された者も“雀の涙”程度の(死亡)保険金で、自分の暮らしがなんとかなるとは思っていないということかな』と答えた。
 Aさんは、ここで“むき”になってしまう。死亡保険金を残してくれた、自分の夫の気持ちが否定されたように感じたからだと言っていたが、多分、自分が携わる生命保険営業が“虚構”のような扱いを受けた不快感もあっただろう。

自分の思いを吐露し過ぎたことの後悔

 Aさんは“頼りになる人”を失った時の、その“雀の涙”が、どんなに残された者を勇気付けるかについて、半ばヒステリックに話してしまった。社長はどんどん引いて行く。そして『気持ちは分かるよ。だけどねえ…』と言葉を濁して、カフェから出て行ってしまった。テーブルに残されたAさんは、瞬く間に“後悔”に沈む。しかし『本音という言葉に、どうしてこうも敏感なのだろう』と考え始めた。

夫の自虐的な《繰り言》を思い出した

 その時、生前の夫が口癖のように『自分はいい夫ではない』と言っていたことを思い出した。そして『口では家族のことを考えているかのように言いながら、結局、本音では自分のことばかり考えてしまう』というニュアンスの話を繰り返す。
 Aさんは、そんな“夫の自虐的な言い回し”が嫌いだった。ところが、カフェに座っている今、心の中の自分が、そんな夫に『あなたは、確かに心の中では自分本位な時があるかも知れないけれど、行為ではきちんと家族に配慮している。自分の本音を決め付けないで』と叫んでいることに気が付いた。

心には悪い思いだけがあるのではない

 人は本音では打算的に考える。人は本音では自分だけがいい思いをしたいと願っている。人は本音では自分が一番偉いと感じている…。確かに、私たちはそんな話をしばしば聞かされる。私たちは『人は完璧であるべきだ』とでも思っているのだろうか。少しでも心に問題を見つけると、『ほら、それがお前の本音だ』と決め付ける。
 しかし、たとえば“生命保険を契約する”という“行為”とその“動機”も、心の中の本音から生まれるものではないのだろうか。

行為は単なる建前ではなく本音の現れ

 夫に『あなたの“行為”も、ただの建前ではなく、本音そのものの現れだ。ちゃんと、心と行為の両方を見て!』と言えていたら、夫は自虐的な思いを克服できたかも知れない。無念の思いが複雑に絡み合う中で、Aさんはふと『生命保険契約は行為なんだ。だから捉えにくいのだ』と、考えてもみなかったことに思い至った。

他者の役に立つ行為に出る本音とは?

 そして、帰りの電車の中で『高齢者に席を譲る若者も、本音では自分が楽をしたいと思っている』という言い方を、『自分が楽をしたいのに、高齢者に席を譲る“行為”に出る本音はどこにあるか』と言い換えてみた。
 すると、生命保険提案に際しても、『損はしませんよ』『節税効果がありますよ』『他社よりお得ですよ』というニュアンスではなく、正面から『私たちには、たとえ損を覚悟してでも“すべき行為”がある』と言えないだろうかという思いが湧いて来る。

行為と悪心の両面認識がトークに影響

 そして、自分でもそんな言い方が“青臭い”と感じるのは、心の中の悪い面ばかりに目を向けて、役に立つ行為を生み出す素に気付かないからではないかと考え始めた。
 ただ、そんな“自分の発見”を適切に伝えるためには、『心の中には利己的な悪い思いも、他者に役立とうとする良い思いもある』という言い回しでは、逆効果かも知れないとも感じる。ところが数週間後、それもふとしたことから“1つの答”に至る。

もっと積極的に行為の効用を語ろう!

 その答とは、一口に言うなら“他者の役に立つ行為の効用”を、具体的に例示しようというものだ。心の中に、どんなに利己心や悪意があったとしても、同じように“役に立つ行為を選ぶ動機”も存在していると気付けないなら、夫のように自虐的になってしまい、自分の心の“建設的な面”と出合えないと、Aさんは捉えたわけだ。
 心自体は不完全で未熟ながらも、人は“建設的な行為”を選択できるのだ。

行為の効用の強調が第三者話法を促進

 この、様々な思いが錯綜する中で生まれた《発見》は、その後、Aさんの活動自体を変えて行った。本音の悪い面を何とか黙らせようとするのではなく、可能な限り、顧客層と《建設的な動機》を共有しようとし始めたからだ。
 そして、その“行為に着目”した話の組み立ての中で、自然な形で“第三者話法”が育って行く。引き続き、Aさんの活動を追い掛けて行こう。

Information

人の本音は《打算=悪心》という先入観が生命保険の提案トークにも影響しているという発見で、ある営業者の話法が大きく変わり始めた。


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