見えにくくなって来てしまった将来的な《目安》

例外が少なくないとしても、現代の私たちは、あまり《将来》を見なくなって来たかも知れません。掲げた目標に向けて頑張るというスタンスや感覚が、今もなお一般的な傾向だとは言い難いからです。そして、それは先行きに《夢》がなくなったからでもなさそうなのです。

(執筆:森 克宣 株式会社エフ・ビー・サイブ研究所)

1.《節目》が自分の将来を見通しやすくする

アメリカ野球(メジャーリーグ)の大谷翔平選手のように、子供の頃から《世界一の選手》になると言う目標を持ち、その路線を着実に実行している人もいます。しかし、そこには《目標実現プラン》を作りやすい環境があるとも言えるのです。その環境とは《人生の節目》のようなものです。
たとえば、高校野球で甲子園に出場できる高校に入学するとか、プロ野球選手になるとか、アメリカ大リーグへ移籍するとか、そこで優勝するとか、更には何歳くらいで引退するとか、野球選手はそんな節目を作りやすいということです。もちろん大谷選手は《規格外の存在》ではありますが、それでも《節目》設定は役に立ったはずなのです。

2.現代人は《節目》の乏しい人生を歩む?

その一方で、一般的な人生には《節目らしい節目》は、どんどん減少して来ているとも言えそうなのです。就職は今もなお、大きな人生イベントではありますが、それでも《転職》は容易です。努力すれば《独立》もできます。就職の《節目らしさ》は自在に先延ばしできるのです。
結婚も同様で、結婚をしない人生を選択できますし、結婚後に撤回(離婚)することも、以前ほど難しくはありません。更に、子供がいても、学校を卒業すれば独立するとは限りませんし、何より自分の仕事の《定年》までもがなくなりつつあります。
そんな中、《年末年始の気分》も随分変わって来たかも知れません。1年の《節目》さえも怪しくなったのです。

3.時代の特徴なのか:名は体を表して来た

『なぜ、そんなことになったのか』を、分析的かつ論理的に捉えることもできますが、今回は少し《違う》側面から変化を捉えてみたいと思います。その捉え方とは、年号と社会感覚の相関のような《イメージ形成》方式です。
たとえば明治(1868~1912年)時代は、欧米文明の導入が《明示》されていました。エウロペ(ヨーロッパ)に憧れ、欧州化することが時代の潮流だったはずです。それが大正(1912~16年)時代に至り、日清(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)の勝利を受けた《大勝》文化が花開きます。大正デモクラシーです。
更に、良くも悪くも人々が集って力を合わせた《昭和(唱和)》時代を経て、節目さえも消し去るかのような平成(平静)時代が約30年間続きました。

4.《当》時代は《前》時代の《花》なのか

かなり乱暴ではあっても、そんな風に捉えてみると、《江戸時代の鎖国による国力と学力の増強》《明治時代の欧米化として開花》し、《明治時代の明示が大正(大勝)文化を花咲か》せ、その《大勝(大正)文化が団結の幹や茎》となって、昭和の前期には《戦争の仇花》になり、後期には《経済成長の花》に育ったと言えるかも知れないのです。
しかし《昭和(唱和)の熱狂》から醒めた私たちは、新しい時代に《自分個人の生き様》に目を向け始め、内なる自分を見つめ直すために、社会には《平成(平静)を求める》ようになります。
平成時代には、平成7年の阪神淡路大震災から、平成28年の熊本地震まで、わずか21年の間に東日本大震災(平成23年)も含めて、5回も大震災に襲われました。しかし、そんな中でさえ、海外のSNSが《日本人の平静さ》をこぞって取り上げたのも事実でしょう。私たちは、海外が驚くほど《平静》だったのです。
さて、そんな《平成(平静)の茎》に、令和は《どんな花を咲かせる》のでしょうか。

5.《平成》を受けて《令和》に咲く花は?

では、昭和の熱狂から醒めて自分の内面に目を向けながら、人生の《節目》という《社会風潮や社会慣習》まで脱ぎ捨てるかのような基礎を作った《平成》を受けて、《令和》は、これから《どんな時代》に成長して行くのでしょう。
同じように《言葉の音合わせ》を行うなら、《令和》は《例話》と言い換えられるかも知れません。
それは、外からの圧力や影響を可能な限り退けつつ、《自分自身の物語》を作ることが求められる時代なのではないかということです。
戦がないことを是とした江戸時代や、欧米化を是とした明治時代から、大勝(大正)に浮かれて唱和(昭和)に進み、その反動からか、周囲を平静にして《自分らしくありたい》と願った平成を経て、今《自分のストーリーを作る》べき時代に達したということです。

6.言霊とは本来《音》であるという現実

つまり、今や《自分の人生の節目は自分で作りたい》ために、一旦《習慣的あるいは外圧的な節目》を御破算にしている時期ではないかということです。
『そんなの語呂合わせに過ぎない』と言われるでしょうし、確かに語呂合わせに過ぎません。しかし、もともと日本語の中心は《48音》で、それが漢字の導入で《多様な意味に使い分けられるようになった》と捉えるなら、《令和》と《例話》には、歴史的な意味で同じ言霊が宿っているとも捉え得るのではないでしょうか。
これは、欧米を始めとする文明社会では一笑に付されるでしょうが、《日本人》としては、簡単には否定できないことではないのではないかとも感じます。

7.時代に沿った生命保険営業アプローチ

ただ、そうであってもなくても、もはや《社会慣行的な節目》はインパクトを持たなくなったとは言えそうなのです。
つまり『社会人になったから生命保険を考えましょう』というタイプのアプローチは、今の若者には通じないということです。それどころか『定年が見え始めて来たから、老後に備えましょう』というアプローチも、もはや壮年者にも通じない恐れが強いのです。
そのため、保険ユーザーにはまず、自分の人生を語ってもらわなければなりません。そして、その中で、保険を考えるための《その人独自の節目》を示唆するという《個人的あるいは個性的》なアプローチが求められるわけです。
その一方で、自分の人生のストーリーを、まだ持っていない人や、既に持っているストーリーを意識できていない人には、《例話》を語ってイメージを作ってもらうことから始める必要があるとも言えそうです。

8.自分のイメージを大事にすべき時

ここでは、今後の活動の方向性を《イメージ(心象)》的に表現してみました。論理的な視点に立つなら、明治や大正等にも様々に複雑な要素が絡み合い、一概には言えないことの方が多くなるかも知れません。しかし、一概には言えないことを、どんなに忠実に追いかけても、次の一歩はなかなか見つからないでしょう。複雑怪奇な理屈は、必ずしも豊かに育っては行かないのです。
ところが、イメージ(心象)で全容を捉えようとしてみると、次の一歩が見える気がして来ます。ただし、あくまでイメージですから、人によって異なるものが見えるのが普通でしょう。

9.これからの情報提供の方向性は…

以上のような観点から、今後は《個々人や個々の企業の寄り添う》ような《節目作り》の方法を、ご一緒に探して行きたいと考えています。その方向性は、このコーナーの記事でも、講座やルーツの作成でも同様です。
ただ、皆様方にも是非、これまでの営業活動を振り返り、大きな変化や考え方の転換等《ご自分らしい時代の節目》を捉え直し、その地盤や茎の上に咲く《花》を想像(創造)してみていただきたいのです。
きっとそこに、《個々の顧客層の節目を見つけ出すヒント》が見つかると思えるからです。

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